「この先が、ギデアスかぁ…」

緊張に身を引き締めて、西サルタバルタを歩く者が一人。

ニルギリは、母国の調理ギルドから依頼された任務を全うしようとしているところである。

とはいえ、彼は冒険者になってまだ間もない初心者。

同じ種族の多く集まるウィンダス連邦を初めて離れてから日も浅い彼にとって

他種族の、しかも獣人の集落を訪れる事はとても勇気のいることだ。


「獣人と話なんてしたことないけど…大丈夫かなぁ」

不安を胸に、若き青年はギデアスへと足を運んでゆく…。


(ズズズズズズズズズズ…)


「ん?なんだこの音」

どこからともなく音が聞こえてくる。

どうやら地響きのようだ。

「地震…かなぁ」

特に気にすることもなく歩き続ける。

しかし、地響きは時間と共に引くどころか、むしろ大きくなってきている。

「な、なんだ?」

良く見ると、前方――それは紛れもなくギデアスの方向――から砂埃を上げて何かが近づいてくる。

(ドドドドドドドドドドドドドドド……)

次第に大きくなる地響き音。それと比例して巨大になってゆく砂埃。

地響きはその砂埃から発生しているようだ。しかしあれは一体なんだろう。

「…なんだろう、あれ」

彼はその場に留まって楽観的に砂埃を見続けている。

しかし彼は知らない。その砂埃が彼に悲劇を生む事を――。


「たーーすーーけーーてぇーーーー!」

泣き声とも叫び声とも思われる声が、砂埃の方向から聞こえてきた。

「…え?」

きょとんとするニルギリ。

しかしその表情はみるみるうちに焦りを帯び始めた。

「…え、えぇ!?」

ニルギリの事などお構いなしに、砂埃はいよいよその真の姿を現し始めた。

先頭に見えるはタルタルの若い女性。歳はおそらくニルギリと同じくらいだろう。

その後ろに、数多なるヤグードの大群が怒りを露わに押し寄せてくる。

情景に圧倒されるニルギリ。状況を把握しきれないニルギリ。動けないニルギリ。

そうしている間に華と野獣のグラデーションは一気にニルギリとの間合いを詰めた。

もはや回避不可能、哀れニルギリ。

「い、いやちょっと待っ」

「キャーーーーーーー」

もはや感情を持たないその叫び声を間近に聞いて、ニルギリの意識は遠ざかって行った――。





ウィンダス連邦。豊かな自然溢れる大地。

石の区と呼ばれる区域の競売所に、経験浅きタルタルの冒険者がいた。

名をニルギリ。彼はどんな困難にも屈しない、はずである。

「全く…あれは一体なんだったんだろう」

記憶の中で恐怖の情景が反芻される。

泣きじゃくるタル女。

怒りに狂うヤグードの顔。

そしてヤグードの足、足、足――。


「とりあえず、通りかかりの熟練した冒険者さんから助言を得たから今度は大丈夫だろうけど」

ボヤきつつ、ニルギリは競売所でプリズムパウダーを1ダース競り落とした。

このプリズムパウダーを身に振りまけば、自分の姿が見えなくなる。

原理はよくわからないが、これをうまく使えば好戦的なヤグードからも悟られる事なく過ごせるらしい。

但し、少しでも効果が行き届いていない場所があれば簡単に見つかってしまうので、細心の注意が必要だ。

「さて、今度こそ食料を届けに行くぞ!」

気合一新、若き青年はギデアスを見ざし走って行った。





「さっきはここで失敗したけど、今度はそうは行かないぞ」

ギデアスを目前に、ニルギリは意気込んだ。

最初来た時の緊張や不安はどこへやら、青年は任務を達成すべく足を進めた。


「おや…?」

ギデアス入り口間近、そこにはおろおろと戸惑うタルタル女の姿があった。

(ギデアスって確か獣人の集落だよね…タルタルはいないよね…)

状況を把握出来ないニルギリは、考えられるだけの思考を巡らせた。

と、そこへ浮かんだ記憶の断片。

「あ!キミは確かさっきの!」

「はわっ!?ななな、なんですかぁ!?」

声をかけられた方は大慌てである。

「なんですかぁじゃないよ、キミのおかげでこっちは大変だったんだぞ!」

そう、このタルタルの女性は先ほどニルギリがとばっちりを受けた時先頭を走っていた女性と同一人物だったのである。

「え?」

意に介せず、という感じである。

どうやらニルギリの事を何一つ覚えてないらしい。

「…何も覚えてないの?さっきヤグードの大群を引き連れて僕に突進してきたじゃないか」

「え、あ…わたし、逃げるのに夢中だったから…」

怒りをぶつけようと思ったが、相手は覚えていない事を知り、ニルギリは怒りのやり場を失ってしまった。

「…それで、キミはこんなところで何をしようとしてたの?」

「えと、えっと…依頼を頼まれて」

良く見ると先ほどは気がつかなかったが、彼女は抱きしめるようにして食料らしき物の入った袋を持っている。

「もしかして…調理ギルドに?」

「え?えっと、…あ、うん!」

「じゃあ、僕の頼まれた内容と一緒か」

「あ、そうなんだ?ねね、じゃあ一緒に行かない…?わたし、一人じゃ怖くて…」

若い年齢の女性と二人っきりで行動を共にする事はニルギリにとっても喜ばしい事この上ないのだが。

はい、という返事をすぐに出せなかったのは、先ほどの悲劇を考慮しての事だろう。

「ん、まぁ…目的は同じだしねぇ〜」

このような、言葉を濁した返事となってしまった。

「本当?わぁい!わたしラミン、よろしくね!」

「え?えっと、僕はニルギリ…」

ニルギリの心情など露知らず、ラミンと名乗る女性はとても嬉しそうである。

「ええっと、…プリズムパウダーって知ってる?」

「ほぇ?なにそれ〜?」

知るわけないよな…。知ってたらヤグードの群れに追いかけられたりしないしなぁ…。

心の中で呟いて、ニルギリは自分の持っていた幾つかをラミンに渡した。

「これを身に振りまけば、自分の姿が周りからは見えなくなるんだってさ」

「へぇ〜そうなんだぁ〜。すごいや!」

理屈など彼女の前には全てひれ伏すのだろう。ニルギリはそう悟った。

「まぁ、そういうわけだから、食糧貯蔵庫まではそれを身に振りまいて行ってね」

「はぁ〜い」

無邪気な返事。

「少しでも隠れてない部分があったら見つかっちゃうからね。気をつけてね」

言ってから、自分にパウダーを振り掛ける。

みるみるうちにニルギリの姿が見えなくなる。

「あれ?ニルギリさん!?どこ〜?」

立ち所に見えなくなったニルギリの姿を探しに、慌ててラミンは奥へと走っていく。

「いやちょっと待って!ここにいるから!」

更に慌てて、ニルギリはラミンを呼び止める。

また血の気の多いヤグードに見つかって追い掛け回されるのもうんざりだ。

「あれぇ?見えないのに声は聞こえる??」

「だからそういうものなんだってば!キミもパウダーかけて、見つからないうちに!」

「え、あ、そっかぁ〜」

おっとりとした口調を残して、ラミンはパウダーを身に振りかけ姿を消した。

「…こんなんで、大丈夫かなぁ」

青年の不安は絶えない。





「マップによると食糧貯蔵庫はもうすぐのようだね」

ニルギリの不安とは裏腹に、特に問題もなく事が進んでいた。

「もう少しで目的達成だね〜」

お互いがどこにいるか確認しながら奥の貯蔵庫へと進む。


「…このドアの先のようだね」

「でも、この状態でドア開けたら不審に思われちゃうよね?番人さんいるし」

「ん…それもそうだね。う〜ん、…どうしよう」

獣人とはいえ、言葉が通じるのだから事情を説明すればいいのだろうが、

彼等の怒り狂う表情と迫り来る足の嵐を思い出すと、ニルギリはどうしても行動に移せないのであった。

「わたしが交渉してみようか」

「え、大丈夫?」

先に発したのはラミン。

あれだけの思いをしておいて進んで危険な役目を請け負おうというのだからその肝ッ玉のデカさは計り知れない。

「…本当に大丈夫?また追いかけられたりしない?」

「う〜ん、そうなったらまたその時考えよう!」

「……その時は僕一人で逃げちゃってもいいよね…」

言い終わるや否や、もしくは聞こえていなかったのか、ラミンは周囲にかかるパウダーを振り落とした。

小さな冒険者の姿が露わになる。

うわあああああああああ、と心の底で叫ぶニルギリ。

しかし、姿も見えずましてや心の中など見えるはずもない状況下。

ラミンは扉の門番へと歩み寄っていく。

「あのぉ〜」

「ん?なんだお前は。一体どこから入り込んだ?」

喋ってる、喋ってるよぉぉお〜〜〜。ニルギリの脳内はもはや解析不可能である。

「昨日ウィンダスから食料が調達されましたよね〜?」

「ふん。それがどうした」

「それが、ちょこっと量が少なかったかなぁと思ったので追加しに来たのですが」

(追加?そんな内容だったっけ?確か食料の中に毒物が混入されて…)

パクパクと口を動かすだけのニルギリも、ようやく落ち着きを取り戻し始めた。

事実ニルギリの記憶通り、二人は食料の中に間違えて混入された毒物を除去するために来たのだ。

「ほう。なかなか良い心がけだ。いいだろう、開けてやる」

「ありがとうございます〜」

ズズズ、という重い音が響いて、大きな扉が開かれる。

とてとてと、ラミンは扉の中へと入っていく。

慌ててニルギリは後を追う。


大きな扉の奥には、所狭しと食料が山積みされていた。

この中から取り去るべき物を探すのは大変だ、と思ったのもつかの間。

良く見るとそれらは肉類、魚類、乳製品、果物等、雑ではあるがきちんと分類されていた。

「ええっと、確か間違えた食料は…」

「きゃ!?」

「うん?」

ラミンはニルギリの声に心底驚いている。

それもそのはず。ニルギリは未だに姿を消したままなのだ。

「びっくりしたぁ!いつまで姿隠してるんですかぁ、もう大丈夫ですよ〜」

「あ、ああそっか」

頭をわしゃわしゃと掻くと、そこには世にも奇妙な生首が登場した。

「……」

チラッとその丸い浮遊物体を見て、ラミンは食料に埋まる毒物を探し始めた。

ニルギリが全てのパウダーを振り払う頃、ラミンは目的の品を探り当てていた。

「あった〜これだ!」

本来渡すべきだったはずの食料と入れ替えて、ようやく任務完了。

後は調理ギルドに成功を報告するだけだ。

ニルギリとラミンは、貯蔵庫から出て帰ろうとした。

「……おい、ちょっと待て」

声をかけたのは扉の門番。

ビクっと背筋を伸ばして、ニルギリは恐る恐る振り返った。

「お前、いつの間に貯蔵庫に入った?」

「あ、えっとぉこの人は〜……」

(…あ、しまった!パウダーかけなおすの忘れてた…)

貯蔵庫へ入っていくのを許可されたのはラミンのみ。

姿を隠していたニルギリは許可どころか存在すら認識されていなかったのだ、疑問を持たれるのも当然だ。

やばい、こいつはやばいよと心の中で繰り返すニルギリ。


「ふん。まあいい」

あら、とニルギリは一瞬拍子抜けする。

「姿を隠して来たのだな。ここに来るまでに喧嘩っ早い連中もいるしな」

「ま、まぁそういうわけでございますが」

獣人と会話をするのは初めてだ。緊張のためか言葉がうまく浮かばない。

「死にたくなければ忘れずに姿を隠して帰るのだな」

「ああ、それは、親切にわざわざどうも」

背中に冷や汗をいっぱいかいていることなど当のニルギリ本人以外誰も知らないだろう。


「…我々獣人は、昔お前達との戦争で敗れたのだ」

門番は表情を曇らせて話し始めた。

「和解が成立して食料まで届けてもらっているというのに、だ。

 それなのに偉そうな態度をとっている様な同族の連中を、わしは正直好かん」

「…そうですか」

「複雑なんですねぇ〜」

「ふん。こんな事をわしが喋った等と、他の者に言うなよ」

「わ、わかってます」

「わかったらさっさと姿を隠して帰ることだ。他の者に見つかったらわしのようにはいかんぞ」

「あ、はい!」

「はぁい!」

周囲を見回してから、二人は素早くパウダーを全身に振りかけた。





ギデアス入り口、狭い通路が続く。

「はぁ〜〜〜〜〜……」

大役を果たしたニルギリは、通路を抜けると思わずその場に腰を下ろしてしまった。

「大丈夫ですか〜?」

対称的に、ラミンはピンピンしている。

「すっごく疲れた。キミは疲れなかったの?」

「そりゃあ追い掛け回された時はすっごく疲れましたけど」

「元気なことで」

「じゃあ少し休みましょうか」

ラミンも、ニルギリの横に座った。

トクントクン、と心なしか鼓動が少し早く脈打つ。

「…あの時、どうして本当の事言わなかったの?」

「あの時って?」

「ほら、門番のヤグードに開けてもらう時」

「食料の追加に、ってやつ?」

「そうそう」

「だって…正直に『毒物混入しちゃったからすり替えさせて』なんて言ったらそれこそ危険でしょ?」

「…え?」

「食料間違えたって聞いただけでも、ヤグードさん怒るんじゃないかなと思って」

「………あ、そっか!」

「和平関係を壊さないために行くのに、私達が戦火の種火なんかになっちゃだめだよ〜」

「…そっか、そんなこと全然思いつかなかった」

「ニルギリさん一人で行ってたら今頃どうなってたのかしら」

「怖いこと想像させないでよ」

「うふふ。二人で行って良かったね!」

「…そうだねぇ」

ぼけっとしてるように見えるけど、ちゃんと考えてるんだなぁ。

ニルギリは心の中でそう呟いて、くすくすと笑うラミンの横顔を眺めた。


「あ、そうだそうだ〜」

「うん?」

「ニルギリさんの事、ニルって呼んでいいですか〜?」

「え、う、うん別にいいけど」

「わぁい。じゃあニルも私のことラミンって呼んでね。『キミ』って呼ばれるのあまり好きじゃないの」

「あ、うん分かった……ラミン」

ぎこちなく呼ぶ声が可笑しくて、ラミンはまたくすくすと笑った。

つられて、ニルギリもあははと笑う。

「ニルってば、貯蔵庫からそのまんま出てきちゃうんだもん。流石にわたしも焦ったよ」

「いや、これで任務達成だって思って気が緩んじゃってさ」

「もう!うふふ」

「そういうキミこそ…」

「ほら、またキミって言う〜」

「あっ…」

「クスッ、うふふ」

「あはは」

二人の笑い声が当たり一面に響いた。

静かな大地。耳を澄ますと、鳥が遠くで鳴いている。

見上げるとそこには、吸い込まれそうな青い空がいっぱいに広がっていた。





「大変だよ!また食料を間違えて入れちゃったんだ!」

「えぇ〜〜。またぁ〜〜?」

ウィンダス、水の区。

あれから数日。すっかり仲良しとなったニルギリとラミンは、

調理合成の知識を得るために、ここ調理ギルドへと来ていた。

何が起きたかは、推して計るべし。

「私よりもおっちょこちょいかも…」

「そうだね…」

「だ〜れ〜かぁ〜〜〜〜〜ギデアスに〜〜〜!!」



ウィンダスは、今日も平和だ。







byにるぎり